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本当に死にたくなるときは、自殺ではなく事故に巻き込まれたくなる

約30日間更新を続けていたのに途切れてしまった。理由は少し気持ちが落ち込んでいたからだ。嫌なことがあったりしたわけではない。たまに気分がものすごく沈んで、何もしたくなくなる時がある。会社に行くのが精一杯でブログを書くことができなかった。

 

こんな気分の浮き沈みを自覚したのは、社会人になってから半年が過ぎた時だ。新卒で入った会社の労働環境は悪く1年未満で辞めてしまった。同期の多くも消えた。身体そのものが消えてしまった仲間もいる。

 

 転職をしても気持ちは晴れず、日々鬱々とした毎日を過ごしている。人と会っているときはなんとか明るく振舞っているが、一人でいるときはネガティブな感情がどんどん出てきて消えたくなる。

 

そして最終的には死にたくなる。こんな重い気持ちが今後続いてしまうのなら死んだ方がマシだと本気で思うのだ。中途半端に人生から逃げるならとことん逃げてしまいたい。

 

しかし自殺する勇気はない。「あの車が急に突っ込んできて死ねないかな」とか「急に重病になって余命1ヶ月にならないかな」とか運が悪かったという理由で消えたくなる。死ぬときでさえ他人任せな自分が情けなくなる。

 

でも僕は今も生きている。それは家族の存在があるからだ。僕が死んだら家族は悲しむ。想像できないくらいに悲しむだろう。受け止めきれない愛情を親は与えてくれた。兄弟とも年を重ねるほど仲が良くなっている。そんな人たちに絶望感を与えたくない。僕がこの絶望感を一人で解消できれば家族は悲しむことはなくなる。そう思えば死ぬことだけはやめようと思える。

 

吉本ばななさん著書の「おとなになるってどんなこと?」という本にこんなが文がある。

 

自殺というのは、心の中に愛の貯金がなくなったときにするのだと私は思っています。愛というのは生易しい意味の愛ではなく、愛という名のエネルギーのことだと私は解釈しています。

 

僕はこの本をスタバで読んながら少し泣いてしまった。家族からもらった愛の貯金が自分にはたくさんあることに気づけたから。前に比べてだいぶ減ってしまったけどまだ底は見えていない。

 

 減った分はまた貯めればいい。愛はもらうばかりでなく与えることもできる。きっと与えることでも貯金はたまっていくはずだ。幸い2年ぶりに心から好きと思える女性に出会えた。まだ付き合ってもいないし、相手の気持ちもわからない。しかし、彼女といるときの僕は間違いなく幸せだし愛情を与えたいと思っている。

 

きっとこれから何回でも死にたいと思うし、この浮き沈みが治るかはわからない。けど愛の貯金がある限り僕は思いとどまるはずだ。僕がこれから生きてくうえでやりたいことは愛の貯金をためていくこと。そして誰かの愛の貯金もためてあげたい。

 

これを読んでる人の中にも死にたいと思ってる人がいるかもしれない。あなたにも愛の貯金があるはず。この世の全員が敵だなんてことはありえない。今日もその場では気づかなかった誰かの優しさがあったかもしれない。

 

そういう1円玉くらいの愛にだって感謝して生きていきたい。